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AVENSIS DIARY

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『まんが道』のふるさと


少年画報社版・まんが道なろう!


まんが道のふるさと・タイトル

富山県高岡市で出会った二人の天才漫画家・藤本弘と安孫子素雄。
彼らのふるさとの写真を作品『まんが道』にそって検証し載せていきたいと思います。
少しずつ増やしていきます。 誤りなどありましたら、掲示板にお願いいたします。


                 現在のこのページの完成度 □□□□□■■■■■    最終更新2005.8.10

高岡古城公園周辺


古城公園・入口 中公文庫版 まんが道 第1巻p.36-37

高岡高校・高岡工芸高校側から徒歩で来るには、この入口を使って古城公園に入ってくるのが自然。

二人がうれしいとき、悩んだときに訪れた公園。
桜の名所で、シーズンには大勢の人が訪れる。

〔撮影2005.4〕






高岡高校正門 【現在の県立高岡高校正門】

1988年に移転。 まんがの中では二人は、この高校に通っていますが、実際には藤本氏のほうは高岡工芸高校に通っていたそうです。
当時は富山県立高岡中部高等学校という名で高岡高校・高岡工芸高校・高岡東部が統合されていました。
古城公園までが目測でおよそ300m。(最短ルートでは半分くらい)
現在の工芸高校・美術館のところに校舎があったそうです。
工芸高校前には、大きなソフトクリームで有名な店があって、学生の他に車で買いに来る人もあります。

中公文庫版 まんが道 第1巻p.89他 〔撮影2005.4〕


高岡高校そばの踏切 【高岡高校そばの踏切】

作品では向かって左側に警報機が描かれています。

中公文庫版 まんが道 第3巻 p.57


〔撮影2005.4〕









高岡古城公園


駐春橋 【駐春橋】

古城公園の大仏方面に面した側の出入り口。
二人が人生の岐路に面立ったときに、この橋がよく登場しています。

作品の時代には木の橋でした。
少し古いですが、大正初期の写真を見ると蓮が一面に生い茂っています。
高岡市発行の資料を読むと、戦後「古城公園」はかなり荒れていたようです。当時の記録には、駐春橋の老朽化の問題の記載もみえます。

中公文庫版 まんが道 第1巻p.138-139〔撮影2005.4〕

駐春橋へ【駐春橋】

原作では「太鼓橋」という名前で登場します。
「古城公園へわたる太鼓橋」と紹介されています。
(Aランド21巻・p.103,p.40)
地元の人は太鼓橋とよぶこともあるようです。
作品に登場する時代には老朽化が進んでいた頃で、
美化されて描かれているように思われます。

まっすぐいった突き当たりが射水神社になります。


〔撮影2005.4〕



古城公園から見た高岡の町並み・定塚方向 【古城公園から見た高岡の町並み・定塚方向】

二人は定塚小学校で出会った。
作品では昭和20年9月に5年3組に満賀道雄が転校してきたとあります。

中公文庫版 まんが道 第2巻p.13?


〔撮影2005.4〕







古城公園内 ふたりはできたての「少太陽」を抱えて、朝の公園を歩き回った。
「少太陽」は二人が作ったまんが同人誌。

右の階段を上ると護国神社。方向としては、右が駐春橋、左が射水神社。

中公文庫版 まんが道 第2巻p.21?

〔撮影2005.4〕







古城公園・広場【緑の広場】

旧・野球場。
現在は、市民の憩いの広場となっています。
満賀道夫(安孫子さん)が弟と野球をした場所。
野球は満賀の唯一のスポーツだったと描かれています。
高岡城光寺球場が出来たときにこちらは公園になったそうです(地元の61歳の男性に聴く)。


中公文庫版 まんが道 第2巻p.48-50


〔撮影2005.4〕



射水神社入り口【射水神社】

なぜか写真の位置に車がよく停まっています。
もう少しいい写真が撮れましたら、そちらをupします。







〔撮影2005.4〕





古城公園・桜の下 【桜並木】

桜の名所とされる高岡古城公園。

古城公園には23種類、2,700本の桜があるそうです。
最も多いのはソメイヨシノ。

〔撮影2005.4〕







相撲場【相撲場】

漫画王6月号の別冊付録に足塚茂道としての初の長編読切りが載ったあと、才野と満賀が相撲をとった場所。

裏手の小高い所が「二つ山」。子供たちがたむろする場所です。
〔撮影2005.4〕








ふたつ山【ふたつ山】












〔撮影2005.8〕


中の島【中の島】

満賀が竹葉美子とはじめてのデートで訪れた場所
「あっちへ行こう!
中の島って
きれいなところが
あるから!」



〔撮影2005.4〕






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高岡古城公園周辺


大仏奥に見えるのが高岡大仏

日本三大大仏のひとつで作品中に頻繁に登場します。

中公文庫版 まんが道 第2巻p.283

〔撮影2005.4〕








高岡大仏【高岡大仏】

古城公園からは歩いて3~5分。
坐像の高さ 7m43cm
重 量 65t
蓮台の高さ 6m
総 高 15m85cm

〔撮影2005.4〕







文苑堂書店【文苑堂書店】

二人が通った書店。
現在は支店を多数持つ書店に。
ここが本店です。
店内には藤子・F・不二雄さんの直筆色紙が飾られています。

「ヒョッとしたら入選が
なにかのまちがいだったりして……」

中公文庫版 まんが道 第2巻p.169
〔撮影2005.4〕



高岡郵便局【高岡郵便局】












〔撮影2005.7〕


現在の桜馬場【現在の桜馬場】

作品には桜の名所として描かれています。
現在は、舗装され交通の激しい道に。
街路樹に名残をとどめていますが、これは市民の希望で
1983年に植樹されたものだそうです。
もともとあった桜は古城公園に植えかえられたようです。
画面左奥が古城公園。
写真ではわかりにくいですが、水色の看板に書かれた店の名が「さくら」。

〔撮影2005.4〕




高岡駅【現在の高岡駅】

高岡市の玄関。

高岡市の人口
昭和25年の人口142,046人 世帯数28,692
平成16年の人口170,343人 世帯数56,823


〔撮影2005.4〕






定塚小学校校歌

昭和6年制定
作詞:藤森 秀夫 作曲:杉江 秀
1 鳳凰鳴けり 高岡に
  古城のほとり 座を占めて
  清く雄々しく そそりたつ
  定塚校ぞ 母校なる

2 峰の甍は 苔むして
  濠辺の松に かげろいつ
  馬場の桜に 映え渡る
  定塚校ぞ  母校なる

3 志貴野の原の 朝ぼらけ
  愛と自由の 鐘なりて
  われらの胸に 響くなり
  定塚校ぞ 母校なる

4 われらの誉を 二上の
  山の名かけて 伝うべく
  いざや はげめよ 諸共に
  定塚校ぞ 母校なる


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参考資料
■ 高岡市古城公園整備計画 昭和25.3.10日発行
■ 高岡古城公園の自然   昭和60.10.15日発行
■ ふるさとの誇り 高岡古城公園 昭和63.10.31日発行
■ 高岡古城公園 GUIDE OF TAKAOKA KOJO PARK


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